リウマチ膠原病のQ&A

日常診療で出会ったギモンに取り組んでいきます!

さよなら、ウェゲナー

(2011年7月)
 
血管炎の国際会議が今年の5月にアメリカのChapelhillで開かれ、ANCA関連血管炎3疾患の病名変更がなされました。
 
Wegener granulomatosis → Granulomatosis with polyangiitis(多発血管炎性肉芽腫症)
 
Churg-Strauss syndrome → Eosinophilic granulomatosis with polyangiitis好酸球性多発血管炎性肉芽腫症)
 
Microscopic polyangiitis、顕微鏡的多発血管炎はそのままです)
 
慣れ親しんだ病名がなくなってしまうのは寂しいものです。
 
Wegenerナチス軍に関係があったため、病名として用いるのはふさわしくないとされたようです。
 
↓の論文には、時代に翻弄されたWegenerの人生が描かれています。
 
1907年、ドイツで誕生。1927年、医学生になる。
1931年、砲丸投げのドイツチャンピオンになる。
1932年、キール大学を卒業。KA Borrmanの指導の下、病理学に興
      味をもち、病理学の助手になる。
1934年、肉芽腫性壊死性炎症による鞍鼻(耳、気管にも+)、壊死性
      糸球体腎炎を認めた38歳男性の剖検例を報告。
1939年、いくつかの症例を集めて報告。同年より5年間、軍の病理医
      として働くが、ジフテリアに倒れる。1年後治ったがアメリカ軍
      の捕虜となる。農業→病理医。
1954年、Godman, Churgにより「ウェゲナー肉芽腫症」と命名される。
1964年、ルーベック大学で研究を再開。献身的な教育者であった。
1967年、 ウェゲナー肉芽腫症のレビューを発表。
1970年、引退。その後、病理医として働く。
1990年、最後の論文を発表。同年、脳卒中後に死亡。
 
彼はその人生のなかで、二つの大きな進歩を目撃することができます。
 
1970年代、WGにたいし、エンドキサンが用いられるようになり、致命的な疾患から多くが寛解する病気になりました。
 
1980年代、ANCAが発見されます。
 
幸せな人生だと思いませんか?
 
政治的な背景はともあれ、ウェゲナーの功績が消えることはありません。
 
リウマトロジスト@三度の飯よりANCA好き
 
Chapel hill会議
1994年の血管炎の国際会議が開かれた聖なる?場所です。この会議で血管炎をサイズで分類し、大2、中2、小6の計10疾患の定義が定められました。この会議のもっとも大きな業績は、それまで混沌としていた中くらいの血管をおもに侵すPNと小さい血管を主に侵すMPAをちゃんと線引きしたことだと思います。それは、小さいサイズの血管炎があれば、中くらいのサイズの血管炎があったとしてもMPAとするということでした。結果として、PNは極めてまれな疾患になり下がってしまいました。2011年のChapel hill会議も後世に語りつがれることでしょう。